女性を送って女性の家に入るべきか入らざるべきか

『終わらぬ口づけ』

その夜、店で彼女が飲んだものは、ビール大ジョッキ三杯、日本酒熱燗4本、チューハイ1杯、あとはウィスキーの水割り3杯でした。とことんのんで、腹のなかのものをぜんぶさらけだしてしまえば、落ち込んでいた気持ちも軽くなるだろうとの配慮から、僕はとめずにみていたのです。
酔っても、こちらに絡みついてくるとか、不機嫌になって暴力的になったりすることもなく、むしろ快活になってよく笑ったりしだしたので、隣りで僕は安堵していました。それでも、勘定を払って、店をでるころには、彼女の足は歩くのも覚束ないありさまで、僕が肩を支えなければその場に座り込んでしまっていたことでしょう。彼女の住いがすぐ近くなのを知っていた僕は、そのまま彼女に肩を貸して、歩きだしました。
「マスター、好きです」
「おれもきみのこと好きだよ」
「本当」
「本当さ」
夜道に二人の大きな声が響きました。酔って好きだと言ったところで、誰も本気にしないことはわかっていました。彼女もそのつもりで、気分のおもむくままに、好きだといっているのにちがいありません。
が、彼女のマンションがだんだんちかづいてくるころ、ふいに彼女が僕にしがみつきました。
「私の部屋にあがっていって」
「え、それは………」
「好きなんでしょう」
「好きだ」
その気持ちに嘘はなかった。誘われるままに、部屋にあがれればどんなによかったことでしょう。しかしいま、ふたりが恋愛関係になったら、彼女の芝居の道はとざされてしまうかもしれません。恋をしろといったのは僕の方ですが、彼女の一途な性格からして、芝居と恋の両立は、無理だと思いました。恋の楽しみを味わいながら、芝居の厳しく辛い道を、どうして歩めるでしょう。
「きみが立派な役者になるまで、まってるよ」
そのとき彼女の表情が一瞬、ひきしまるのがわかりました。酔っていても、いまの僕の言葉は、はっきり心の奥底まで伝わったはずです。
「わかりました、マスター」
もう目の前に、マンションがちかづいていました。
彼女は玄関の手前の、自転車置き場の方に僕をひっぱっていくと、いきなり僕の口に唇をおしつけてきました。
薄暗い外灯の明かりの下で、僕たちはながいあいだキスをしていました。彼女も僕も、もしかしらこれでお別れかも知れないという気持ちが二人の間に去来していたことはまちがいありません、だからこそ、強く、はげしく、いつ終わるともしれない口づけを交していたのでした。

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